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乳癌の闘病記です,一言で良いですコメント、よろしくね


by yuki_yukimin

これからもヨロシク

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もう10ヶ月近く経つが、私は自分で胸のしこりに気がついた。
その瞬間、私は自分が癌であると言う確信を持った、根拠は無かったが、元々がん患者の多い家系で、二人の叔母を乳癌で亡くしている。

私の生活と精神状態は一変した、暗雲の垂れ込める世界で、底の見えない泥沼に足を引きずれ込まれながら、抗う術さえ持たずに、ただ沈んでいった。

外科の主治医の診察さえ受け入れられず、抗鬱剤と、精神安定剤、眠剤が処方された。
それでも一晩中、ビデオをかけ続け、目が覚めると、何時でも主人を揺り起こした

体調や気分が悪く仕事に行かれない日、そして術後、自営業で自由が利く主人が家に仕事を持ち込んで、側にいてくれた、どうしても外出しなくてはいけない日は順番に子供達を休ませた、とにかく一人で家に居る事なんて出来なかった、術後3週間で仕事に復帰したのも、仕事をしている方が楽だったからだ。

化学療法の必要性が決定した、最初の投薬は入院して行なわれる、そのベッド待ちのある日、主人からブログを薦められた。

自分の気持ちを書き綴った、死の恐怖と苦しみと恐れに縛り付けられた心を吐露した。
直ぐにラムちゃんからコメントが入った、嬉しかった、一人じゃないんだと初めて気がついた。

だんだんと、コメントも増えていった、そこにはたくさんの同胞がいた、凹む度に勇気を貰った、何時しか暗雲の垂れ込めた空に光が見えるようになった。

化学療法が始まっても仕事は続けた、派遣社員の私は約半年毎のプロジェクトに参加してはプログラムを組む仕事をしている、化療の最中に勤め先が変わったこともあった、化療を金曜日に受け土日休んで月曜日からフルタイムで出勤、身体は辛かったが、精神的にはその方が楽だった、一人になるのが怖かった、一人で家に居られなかった、仕事に集中している間は、病気の事を一瞬でも忘れられた。

良く、化療や放射線治療を受けながら、仕事を続けていることをが私の強さだとコメントに書いて頂ける、でも本当は違う、仕事を辞めなかったのは私の弱さ、辞めなかったのではなく、辞められなかったのだ。

今回、放射線治療の最中にまた派遣の契約期間が終了したが、初めて次の仕事を入れなかった、毎日の通院に仕事は辛いと言う事もあったが、一番の理由は、多分もう一人で家に居られるだろうと思ったからだ。

主人が心配して、また自分か子供達が側に居るようにしようかと言われたが、大丈夫だからと断った。

6月11日から家に居る、放射線治療も14日には終わり完全なプー状態に入った、一人でも大丈夫、先日は10ヶ月ぶりに、ベランダの植物の手入れをした、フットセラピーや、素頭を披露してのヘッドマッサージにも行った、昼寝もたくさんした、主人と待ち合わせして、銀座で何度か食事もした、初めて自分でも強くなれたんだと感じた。

結局、来週から仕事に復帰することが決まった、今度の通勤先は丸の内(確かシロクマちゃんと同じだぁ♪)主人は通勤が大変だからと、難色を示したが、殆んどこちらの意向を汲んで貰った、かなりの好待遇に私は二つ返事で引き受けてしまった。
(実は放射線治療が終わった14日にも、面談があった、企業側からは良い返事を頂いたのだが、待遇面がイマイチで、お断りしている、それを受けてたら今週の火曜日からすでに仕事が始まってた)

7月一杯は休もうと思っていたが、お世話になっている派遣会社、そうそう我侭も言っていられない、まぁ2週間家に居たけど、掃除をしたのは2回だけ、結局考えていた換気扇掃除も窓拭きも家事と名のつく事は殆んど何もしなかった・・・

人には向き、不向きがあるのだ!やっぱり働こう・・・

今私の頭上の空は晴天だ、たまに雲が風に乗って流れてくるが、以前の様に光が射さない日は無くなった。
一人ではここまで来られなかった、ブログ友、リアル友、たくさんの人々に支えられた、ありがとう、やっと一人で立てるようになりました、そしてこれからもヨロシク。
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by yuki_yukimin | 2007-06-24 09:23 | 病気について