乳癌の闘病記です,一言で良いですコメント、よろしくね


by yuki_yukimin

親との関係

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リアルタイムな私はノイトロジン週間を迎え今日も出社前に病院へ行って参りました、注射だけだと待ち時間も無く、あっという間にお会計、いつもこうだと良いのにね。

今日は皆さんのブログを読んでいて、その余りの違いにいつも驚いている自分の両親との関係について。
子供の頃は自分の親しか知らなかったから、あまり不思議に思った事は無かったけど、私の父親はかなりエキセントリックな人で、人間湯沸器とでも言ったら良いのだろうか、カッとなると自らの怒りが怒りを呼び、抑えきれなくなる、ゆえに体罰は日常茶飯事だったし、夕飯の度に説教、それでもって怒りが頂点に達すると「おまえ達は俺の人生の汚点だ!」が決まり文句。
今でこそ食育が子供にとっていかに大切かと世間では言われているが、その頃はそんな話は無かったし、夕飯はとにかく、目の前に置かれた物をサッサと飲み込んで少しでも早く食卓から離れたかった、ご飯を美味しいと思って食べた記憶が無い、父の居る夕飯は苦痛でしかなかった。

別に虐待されていた訳ではない、ちゃんと学校にも行ったし、意味もなく叩かれた訳でもない(でもかなり気分的な要素が大きかったが)、生活は父が会社の役員をしていたので裕福な方だったし、機嫌がよければ、欲しい物は買ってもらえた。

父は母にも手をあげた、そんな父がよっぽど怖かったのだろう、母は父の言いなりで、いくら目の前で子供達が怒鳴られようが、体罰を受けようが、自分を守る事に精一杯、助けてくれた事は一度もなかった。

私はいつも父親の顔色を伺っている子供だった、どうすれば怒られないで済むか、そればかり考えていた、親にとってはいわゆる良い子だったと思う。

結局、大学を卒業して直ぐに家を出た、妹も弟も家を出たのは早かった。

結婚して、夫が怒らない人で驚いた、子供にも優しかったし、私を大事にしてくれた、共働きで家事も分担して手伝ってくれた、私は幸せだった、こんな家庭生活もあるんだと初めて知った。
子供が生まれて、暫く仕事を辞めていた時期に、母が肝炎になった、まだ祖父母も健在で、治療と祖父母の世話や家事でかなり参っていた母は良く私を呼び出した。
祖父母や母の通院、その他雑用、買い物、言われるままに動いた、良い子で居る事が染み付いた私にはそうする事があたりまえだった。
しかし、そのうち子供も手が離れ、私は再び仕事に戻った、母にとっての蜜月は終わった。
その後は、私も忙しく、実家は近かったが、正月に顔を出すくらいで、殆ど行き来も電話も来なかった、既に用事を言いつけられない私は母にとって不要だった。

そして私は去年、乳がんになった。
最初は自分の親に知らせる気は無かったが、夫に「そんな親にも知らせないなんて馬鹿な話は無い」と言われ、手術が決まってから、電話を入れた、電話口で母は驚き、心配もしてくれた、私はそんな母の気持ちが嬉しかった。

しかし、美談はこれだけ・・・
その後手術日当日まで電話一本来なかった、まぁそんな物だろうと気にも止めなかった、まさか自分の親に限って心配で手術日に駆けつけて来るとも思っていなかったから。

手術が無事に終わって、夫が私の実家に報告をすると言うので、そんな必要は無いと言ったんだけど、「非常識な事はしてはダメ」と夫にたしなめられた。
その夫が暫くして戻って来ると「無事に手術が終わりましたって連絡入れたんだけど、何の事って言われたよ」と驚いていた。
私の両親は、娘の病気の心配どころか、手術日さえ忘れ気に掛けてはいなかった、それには、いくら私でも驚いた。

入院中に見舞いに来てくれたのは自分の家族と妹だけだった、妹は私に対する両親の態度に随分と腹を立ててくれていた。

退院して一週間もしない頃、珍しく母から電話があった、明日妹と一緒に行くからという内容だった、今になって見舞いなの?不思議に思いながらも次の日一応部屋を片付け待っていると、電話がなった。
外で食事をするから出てきてと言う、結局見舞いにくるつもりは無いらしい、母は妹に「いくらなんでも酷すぎる」と散々文句を言われて重い腰をあげたのだ。

結局、母と妹と三人で近くのファミレスに行った。
母は私の顔を見るなり「随分痩せたね~、それに顔色が悪いねぇ」と言った。
術後まだ5日目、体調が良い訳は無く食欲も無い、ファミレスになんて行きたい訳は無かった。

「別にお見舞いってわけじゃないから」と言って封筒を渡された、3万円入っていた。

私 「ねぇ、おかしくない?」

母 「何が?」

私 「普通、手術の日とかって心配して、親に親戚が来てる人まで居たのに、何で手術日さえ覚えてないの、何で電話一本掛けて来てくれないの?、心配じゃないの?他の人と全然違い過ぎるよ」

母 「電話は昼間掛けたよ、でも誰も出なかったから」

私 「だって仕事してるから、昼間誰も居ないの知ってるでしょ、それにしても本当に心配だったら夜掛けなおすのが普通じゃないの?」

母 「仕事してるなんて知らなかった」

私 「知らないはず無いでしょ、それにいくらなんでも手術が終わった連絡をパパがした時、何それはないんじゃないの」

母 「だって、手術がいつなんて知らなかったし、仕方が無いでしょ」

私 「手術日知らないわけないでしょ、入院の時の保証人欄、書いてもらってるじゃん」

母 「そんなの書いた覚えもないし、本当に手術日なんて知らなかった」

私 「じゃぁ、気にはならなかったの?電話していつが手術日か確かめ様とは思わなかったの?」

母 「私だって体調が悪くって自分の事で精一杯なのに、そんな人の事まで気に掛けてられない、転移だってしてなかったし手術が無事に済んだんだったらそれで良いでしょ」

私 「手術が済んで終わりじゃないんだよ、転移はこれから何年も心配しなくちゃいけないんだよ、盲腸とは訳が違うんだよ」

母 「でも、別にたいした事無かったんでしょ」

私 「・・・・・・・」

母 「とにかく、私だって具合が悪いの、別に子供達に面倒を見てくれ言ってる訳じゃないんだから、それで良いでしょ」

なんだか情けなくって寂しかった、そして親の老いを感じた、別に何をして欲しい訳じゃない、お見舞いに来て欲しいわけでも、治療費を出して欲しいわけでも無い・・・・

何を言っても私の気持ちが伝わらない事だけははっきり分かった、私はただ心配して欲しかった・・・


何だかとってもつまらない事を書いてしまいました、ブログを読んでいて、心配した両親がお見舞いに来てくれる話や、お手伝いに来てくれる話、いつも羨ましく読んでいて、それでふっと、なんでこんなに自分と違うんだろうって思っちゃっただけ。

大丈夫、私には一人で余りある愛情を注いでくれる、頼もしい夫と、家事分担を文句も言わずにこなしてくれている息子達が居る、充分過ぎるくらい幸せです。
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by yuki_yukimin | 2007-02-21 16:22 | その他のこと